「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる・・」創世記4:6

カインとアベルがそれぞれ献げ物をしたが、カインの献げ物は退けられ、アベルの献げ物は受け入れられた。カインは自分が受け入れられなかった事で、怒りに震えた。しかし神は正しく行っていないと指摘された。そこで悔い改めて、神に教えてもらい、献げ直せばよかった。

 

だが、正しい献げ物をしたアベルによって、自らの罪が明らかになった事で、カインはアベルに対する妬みと怒りが燃え上がった。その結果、カインはアベル殺害に至ってしまった。アベルの行いは正しく、自分の行いは悪かったからだ。義人は迫害を受ける。義人はそこにいるだけで、他人の罪を明らかにしてしまうからだ。 悪口ざんまいの職場で、一人だけ悪口を言わないクリスチャンは憎まれる事がある。悪口を言わない事で、周囲の罪をあらわにするからだ。

 

「世のものであったら、世は自分のもを愛した。しかし世のものでなく、世から選び出されたので、世はあなたがたを憎む」と。

 

噂話や悪口に同調しない人を、世は快く思わない。ダビデは、常に主に信頼し、主の御心を歩んで行った。ダビデが真っ直ぐに主に従えば従うほど、サウルの不従順と罪があらわになった。サウルは、ダビデを見る目が疑いと嫉妬に歪み、ダビデを抹殺しようとする。

 

主に従う人によって、自分の罪があらわになる。だから憎しみが湧く。時に信仰ゆえの苦しみがあるが、それは義のためである事を覚えていよう。主は見ておられ、主からの豊かな報いがある。

 

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主の御霊を頂いているので私たちは世の人とと同調できない。生きづらさを感じることもあるが、霊の眼は見るべき主を見ていこう。罪を赦し、救うことのできる主を見よう。