「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました」ローマ4:20

アブラハムは75歳の時に神の示しに従い、カランを出てカナンの地に移り住んだ。しかし、子が無く、しもべのエリエゼルを相続人にと考えていた。その時に、神により、「その者が継いではならない。あなた自身から生まれ出る者が、跡取りとなる」と言われ、外に連れ出され、満天の星を見せられた。

 

そして「あなたの子孫はこのようになる」と告げられた。アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。その後、子供はなおも生まれず、サラの提案のもと、肉の思いと行動により、女奴隷ハガルによりイシマエルを得た。アブラハムの失敗であった。86歳であった。その後も、約束はあっても、13年間、状況的には何一つ動かず、微動だにせず、全く何も見えない歳月が続いた。

 

厳しい忍耐の時であった。13年経た時、99歳の時に、主が彼に再び現れ、子孫を与えると語られた。そして、100歳になって、とうとう実子であるイサクを得た。アブラハムは常識的には不可能である、厳しい状況の中で、神ご自身を信じた。望み得ない時に望みを抱いて信じた。見えたなら信仰は必要ない。見えないものを信じるから信仰だ。

 

それは厳しい状況を見るのでなく、約束して下さった神を見続ける信仰だった。アブラハムには数々の失敗があった。しかし、信仰の父と言われ、神はその「信仰」を喜ばれた。あなたも今、厳しい状況だろうか。「胎の死んでいることを認めても」、状況的に不可能と思えても、神の約束の言葉に立とう。信仰に立てるよう、助けを求めて祈ろう。

 

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試練に直面すると、試練ばかり見てしまう弱さがあるが、それでも約束してくださる神は真実な方だと言える経験を重ねたい。信じられない不信仰も祈りに変えよう。必ず神が信仰に立たせて下さる。