「あなたのなさったこのことは、いったいどういうことですか。お子さまが生きておられる時は断食をして泣かれたのに、お子さまがなくなられると、起き上がり、食事をなさるとは」Ⅱサムエル12:21

ダビデの子を、バテシバが産んだが、ダビデの罪が原因で死んでしまった。ダビデは姦淫と殺人の罪を犯したまま、王の立場であり、隠ぺいしていたが、ナタンの指摘により、罪を認め、悔い改めた。主はそれらの罪を赦して下さった。

 

しかし「あなたはこの事によって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ」と言われた。そして主が打たれたので、子供は病気になった。するとダビデは断食をして、全身全霊で子供のために切なる祈りを献げた。しかしその子は死んでしまった。

 

家来たちはダビデを余りにも心配して、子供の死を伝えられなかったほどだ。それほどのダビデが、息子の死を知った時、起きあがり、身を整えて、神を礼拝したのだ。ダビデの驚くべき信仰の姿勢だ。自分はこれだけ祈ったのに、なぜ神は聞かれないのかと、不平不満、怒りで一杯になったり、又、失望落胆に落ち込む事もできた。

 

しかしダビデはそうしなかった。どんなにかつらく、悲しく、苦しく、心痛んだ事だろう。しかし、力を尽くして祈った結果、こうなった時、これが神の御心である事を受け入れた。そして神を礼拝した。ダビデは立派だった。

 

神の聖なる御心を受け入れる事は、時に裂かれるような痛みを伴う。しかし、神は聖い方であられ、同時に愛なる方だ。必ず神のなさる事は最善だ。ダビデはそれを信じていた。今、受け取るべき御心があれば、受け入れられるように、祈ろう。

 

------------

罪の刈り取りもしっかりと神からのものと受け取るから、つらくても不平不満がない。刈り取りを突然のことのように失望するのではなく、神の赦しを信じ、神に全てを委ねていよう。