「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません」ヨハネ6:63

伝道していて、時々こんな人々に出会う。それは、妬みや憎しみ敵対心が心にあるが、それは外に出さない。相手にも向けないし、心の内で抑えているのだから、自分はむしろ良い人間ではないかと。これはクリスチャンになってからもあるかも知れない。様々な罪の思いを心に抑え込む。

 

憎しみを外には出さず、抑えているので、対人関係のトラブルは生じない。そのため、いつしか自分は良い人間だと錯覚してしまう。しかし出さないだけで、内側では憎しみ妬みの罪が渦巻いている。そうしていて欺瞞に気づかない。そうなると、御霊の促しや語りかけがわからなくなって行く。

 

信仰人生は御霊の気づきによって守られ、保たれ、成長して行ける。それが無いなら最も恐ろしい状態だ。又、信仰者が悪い思いを持ってはいけないと、ひたすら抑える。抑え込むが、それは無くなったわけでなく、そこにあるので、こっちから、あっちから頭を出す。それをもぐら叩きのように、更に抑え込む。すると許容量を越えた時に爆発する。

 

しかし押し込むのではなく、無い振りをするのでもなく、言い訳するのでなく、その思いを正直に認め、そのつど主に明け渡して行く事だ。それを繰り返して行く。

 

そうする時、常に主の御前に正直でおられて、且つ主が変えて行って下さる。そしてあるがまま受け入れられている主の愛を実感として、知って行く。「あくまでもそれを続けなさい。」続けて行くことだ。自分の力でなく御霊によって、変えられて行っている自分を発見する。

 

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落ち込み、反省しまた肉で頑張る、この悪循環に気づこう。気づけたら感謝だ。主に渡して行こう。重圧から解放され、主の御霊の喜びに満たされてくる。