「私のことばは、その時が来れば実現します」ルカ1:20

信仰生活を歩み始めると、信仰人生、自分の思い通りにはならない、という事が段々わかってくる。神の思いと自分の思いが違うのだ。自分の思いとしては、これが最善!と思うが、そのように事は運ばない。神のみ思いは違う。遙かに高くて深い。そして振り返る時、自分の思い通りにならなくて良かった!と必ず思える。

 

あのまま進んでいたなら恐るべき高慢に陥っていたと。しかし、今、目の前の事が思い通りにならないと同じように焦りや不安で一杯になる。神の方法と神の時がある事を覚えよう。絶妙のタイミングで、神は事をされる。神の定めた「時」がある。神の時でなければ、事は全く動かない。微動だにしない。

 

しかし神の時が来ると、突然に事は動き出す。人の手にはいっさいよらない。人は先が全く見えない。目先の事しかわからない。神は何もかも見通しておられる。その神を信頼しよう。焦らずに待とう。又、人は自己中心というメガネをかけて見るので、物事が歪んで見える。

 

自分中心にしか見えないので、最悪にしか見えないが、神の素晴らしいご計画の中だ。事態も状況も何もかもが、ぐちゃぐちゃにしか見えないが、実は最善の計画が着々と進行している。ご計画がある。ヤコブは「私も失う時には失うのだ」とヨセフもシメオンもベニヤミンも失ったかに見えた。

 

しかし実際は何も失っておらず、ヨセフと再会、飢饉から一族は命を救われ、家族皆で暮らせるという最高の幸せが伏せられていた。最善をして下さる神を信じて、神の時を待とう。

 

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神の時を逃さず悟れるよう主を通して問題を見ていこう。人の手で通そうとすると混乱ばかりで醜いが、神の時は全てが美しい。神の時を信じて待ち望もう。