「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である」箴言16:9

35階のビルの入口に立って、地上からビルを仰ぎ見る時、そのビルと近隣が見えるだけだ。しかし、ビルの最上階から景色を見るならどうだろう。遙か彼方の地平線まで見える。遠方の景色まですべてが展望できる。有限な私たちは地上で見ているごとく、ほんの少しの目先の情報でしか物事を考えられない。

 

様々な計画を立てるにしても、近視眼的に、目の前の事しか見えていない。遙か先の事は見えないし、明日の事すらわからない。しかし永遠であり、全知であられる主はどうだろう。明日も、私たちの将来も、行く道も何もかも見通されていて、完璧にご存じだ。私たちよりも遙か先を見た上で、今の状況を導き、配慮して下さっている。

 

自分はこの考えは絶対だ、この計画は絶対だと思う。自分軸で見るので、そう思えてしまう。そして、自分に関わる状況を見つつ、最高の結果を期待し、自らが立てた計画通りに事が運ぶよう願う。だがその通りでなく、思い通りにならないと、焦り、イラ立ち、不安になり思い煩う。ところが、遙かに高い主の前では、自分の計画は絶対ではないかも知れない、そのへりくだりが必要だ。

 

しばしば主のみ思いと自分の思いに、大きな隔たりがある。主は私たちの事も、将来も、周囲の事をも配慮し、最善をして下さる。そして全主権を持たれる主は、愛なる主だ。思い通りでない事態を、その愛なる方が最善へと導いておられる事を信じよう。

 

・・・・・・・・・・・・

自分の思いと、主のみ思いがある。肉は強く、これは絶対に良いと自分で思う事も、しばしば主の御心とは違っている。しかし思い通りにならなくとも、自分自身を委ね、主の最善の御心が成るとの信仰に立つ時、平安にされる。そして主の御心が成る。