「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」ローマ8:14

ある人が、小さい頃から、下の兄弟たちの面倒をずっと見て来た。両親が忙しく働いていた事もあり、親代わりに世話をし、家の手伝いもして来た。親も疲れ果てて帰宅する日々に、親に甘えるどころか、親の親になっていた。自分の気持ちを抑え込み、良い子でなければならず、我慢に我慢をして、良い子でずっと生きて来た。

 

そしてそれは、信仰を持ってからも良い子クリスチャンとなった。自分では全く気づかなかったが、神の前でさえ良い子でいようとする。だからそれは本当の自分では無いので、主との間に距離があって、主の愛がわからず、教理の、頭の知識でしかわからなかった。 実感が全く無かった。本心を隠したままで、本当の気持ちなど、到底出せなかった。

 

ところが度重なる試練に、八方塞がりで追い詰められ、行き詰まり、良い子を演じる余裕が無くなり、許容量オーバーとなり、ついに底の本心を主にぶつけた。それは怒りだった。これまで懸命に従って来たのに、この散々な状況に怒りが爆発した。

 

しかし、その本心を主に吐き出し、ぶつけた時に、初めて主から答えを得た。驚きだった。良い子でなければ受け入れて貰えないと思っていた。しかるに、生きた交わりを初めて経験した。主に何でも心の内を言っていい事がわかった。心に初めて経験する安堵が来た。

 

喜びが湧き上がり、平安を知った。あなたは主との間に距離があるだろうか。あるがまま祈ってみよう。「アバ父」「お父ちゃん」と子供になって素直に御前に出てみよう。私たちは子どもだ。

 

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いくら知識で主を知ってもそれは観念だ。直接、御父から来る豊かな恵みを味わおう。御霊を通して御父を知り、信じて実践して経験していこう。