「イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた・・神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ」Ⅰサムエル4:10

イスラエルの民は、とにかく主の契約の箱さえあれば、主はご自身の契約を果たされるのだから、自分たちは敵から守られると考えた。自分たちが契約に対して、全く真実でなかったとしても、契約の箱がある限りは、大丈夫だと思った。しかし、そうではなかった。神は民が偶像礼拝し、神から離れて行く時、彼らが敵に打ち負かされるに任せられた。

 

彼らは、御名のために、ご自身の栄光のために、神は自分たちを救って下さるはずだと思った。自分たちが負けるなら、神の御名が立ち行かない、御名が汚れる。だから必ず助かるはずだと高をくくっていた。しかし、神は罪をあいまいにされたり、ごまかしたりされる事は決してない。何よりも聖なる方だ。

 

民は敵に打ち負かされ、天幕に逃げ帰り、疫病で歩兵三万人が倒れ、契約の箱は奪われ、エリの二人の息子、ホフニとピネハスは死んだ。徹底的な敗北だ。都合が悪い事はふたをし、おおい隠されるのではない。敵の前にも隠されない。人間は勘違いをする。不祥事は証しに悪いと、とにかく隠し、ひた隠しにする。

 

しかし敵の前で、民が敗北する事によって、神の聖さが現される。神は聖いお方だ。キリストとベリアルは何の関係も無く、光と闇も何の関係も無い。おおい隠す事によってでなく、敗北によって罪を明らかにされる。聖なる方だ。そして悔い改めて歩む時に、大きな恵みにおおわれる。

 

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かたちだけを整えれて、ばたばたと動き回れば、信仰そのものが空洞化していく。気をつけよう。失敗は真に悔い改め、聖なる主と共にいよう。それがいつでも最善で最強だ。