「私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ・・私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう」民数記13:32

「心配」とは、主を信頼せずに、問題を自分が取り込む事だ。そこに主を信じる信仰が飛んでしまっている。問題を自分が抱え込むので、ずっしりとすべてが自分の肩にかかる事になる。そして来る日も、来る日も、繰り返し繰り返し、問題への不安と思い煩いを反すうし、問題を心の中で、ますます大きく強固なものにし、モンスターにして行くことだ。

 

毎日毎日繰り返していたら、ますますその事に心が奪われ、とりつかれ、身動きできないものになる。自分で問題を巨大にする。いつしかその問題は、自分を「食い尽くす地」「背の高い巨人」「自分はいなご」となってしまう。

 

又、憎しみや妬みも同様だ。それを主のもとへ持って行かないなら、御言葉を信じ、信仰を働かせないなら、憎悪と嫉妬は、毎日毎日繰り返す事により、どんどん膨らみ、大きくなり、自分で成長させ培って行ってしまう。そのような状態だろうか。問題を心の中で繰り返し反すうするのでなく、御言葉を繰り返し、繰り返し反すうすべきだ。

 

御言葉を「口から離さず、昼も夜も口ずさむ」なら「すべてのことを守り行う」ことができる。そして「あなたのすることで繁栄し、栄えることができる」。問題をずっと見続けている事に気づくなら、問題でなく御言葉に目を転じ、御言葉を見続けよう。その問題は「私たちのえじきとなる」「主がともにおられる。恐れるな」「上って行って占領しよう。必ずできる」。主は指針を与え導いて下さる。

 

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思い煩う時は、気づかないうちに問題の前でじっと立ち止まってししまっている。委ねるとはもっと積極的な行為だ。主に渡そう。繰り返し、繰り返し、御言葉を思い起こそう。必ずできる。