「この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません」ヨハネ14:30

サタンは全知全能ではない。神に許された範囲内でしか働けない。ヨブ記のように「持ち物はいいが、身体はいけない」、次に挑戦して来た時には「身体はいいが、しかし命には触れるな」。神は限度を定めておられ、それ以上は手を出せない。サタンはユダの心に、主を売ろうとの思いを入れた。そのユダは主を銀貨30枚で売ってしまった。無実の罪で捕らえられた主は、サタンにより十字架へと追いやられた。

 

神はサタンを止める事も可能だが、働く事を許された。結果的に、そのサタンは、神の御旨の成就のために用いられた。神は全知全能であられ、神が全主権を握っておられる。サタンは主を十字架の無残な死に追いやったが、その結果、主の十字架は人類の贖いを成し遂げてしまった。もう誰も、サタンすらどうする事も出来ない。

 

この贖いの成就を、元に戻す事は出来ない。 ペテロもサタンにやられてしまった。自己過信していた。自信に溢れ、命を捨ててでも従って行けると豪語した。しかし主が捕らえられた時、恐怖で保身に走り、呪いをかけて誓ってまで、知らないと主を裏切ってしまった。しかし、主はそれをも予めご存じで、ペテロの将来を見据えておられた。「サタンがあなたをふるいにかけることを願って聞き届けられた」。これはサタンのふるいだと。

 

ユダは悔い改めず、ペテロは悔い改めた。ペテロは粉々に砕かれ、自らの弱さを徹底的に知らされた。サタンは働くが、神はサタンをも利用して、私たちを更なる成長へと導かれる。

 

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サタンは絶えず祝福を奪うために、妨害して来るが、主の許しの範囲内だ。主の支配の内だ。サタンは働くが、それをも私たちの成長のために利用される。力を持って攻撃して来るように見えるが、しかし、背後におられる更に力ある主に主権がある事を覚えよう。