「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」ヨハネ8:32

ある人には、不幸な生い立ちがあり、確かに父親に非があった。酒やギャンブルに手を出し、家族に暴力を振るった。そんな父親を非常に憎んでいた。憎むべき多くの理由があったし、自分は被害者で、どう見ても、父親が悪いとしか見えなかった。そんな親を赦すことができず、心は憎しみでいっぱいだった。

 

そんな中、主に出会い、主を信じる事ができた。そして聖書の学びを続けていると、ある時、御霊に示された。父親自身に間違いがあり、問題があり、父親から多くの傷を受けたが、自分が父親を「憎んでいること」は、どんなに言い訳しても、それは自分の罪なのだと。相手が悪いと自分を正当化したいし、しかし正当化しようとも、紛れもなく自分の罪なのだと。

 

父親の罪は、父親と神との関係であり、それは自分のあずかり知るところではない。しかし自分は、自分と神との関係において責任があり、それが罪である事がはっきりとわかった。そのため、それを認めて告白し、神の御前に悔い改めた。

 

その時、心の中の重い大きな鉛のようなかたまりが溶けて行くように感じた。心が落ち着いて、安堵が広がった。確かに相手が悪く、自分が被害者である時、自分の心の部分が隠れて見えなくなってしまう。しかし、主はいつも私たちを愛して下さっているので、自由にし、解き放ち、平安にしようと働きかけて下さる。

 

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被害者である時に、見えにくくなる。相手が悪い時、憎しみが正当化されて隠れてしまう。苦しいので、相手のせいと、ますます憎む事になる。実は、主と自分の関係において平安が無いから苦しい。人は関係無い。主が正しく導いて下さるよう祈れる事が感謝だ。