「ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたがに、まことの富を任せるでしょう」ルカ16:11

管理人が主人の財産を乱費していた事が発覚し、解雇を言い渡され、会計報告を出せと言われた。彼は債務者を次々呼んで、減額にした。そうすれば、解雇された時、彼らが何とか自分に有利に計らってくれると踏んだのだ。主人はこの抜け目のなさをほめた。

 

そして主はこのように「不正の富」で自分のために友を作れと言われた。ここで「不正の富」というのは、悪事で得た富の事ではなく、「この世の富」という意味だ。「不正」=「この世」の意味であり、つまりは、この世の富を忠実に、主の御心通りに、喜ばれるように使えという事だ。

 

この世にいる間に、この世の富を主に喜ばれるように用いる時、来たるべき天で、まことの富を任されると。天に帰った時に御国の管理者とされる。神から任された、この世の富を御霊に導かれて賢く使えうようにと言われている。会計報告を出すのは、所有者でなく、管理人だ。

 

所有者なら自分の物であるので、自由に使えばよいし、報告を出す必要はない。しかし、管理人は主人に報告の義務がある。私たちもこの世の富は管理であって、所有ではない。主人に喜ばれるように、主人に御心を問いながら使う責任がある。富は容易に偶像になる。富に執着し、固執し、振り回されてしまう。 富の主人でなく、奴隷になってしまう。

 

神と富に仕えるなと言われたのでなく、仕える事は出来ないと。二者択一だ。どちらかにしか心は無いと。富の使い方を、まず主に問い祈って用いて行こう。

 

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手にしているものは、働いて受けた当然の報酬と思ってしまいがちだが、すべては神が整え、与えてくださる一方的な恵みだ。感謝と共に、管理を任されていることを今一度覚えたい。