「この水を飲む者はだれでも、また渇きます」ヨハネ4:13

サマリヤの女性は、昼の暑いカンカン照りの最中に、井戸に水を汲みに来た。普通は、しない事だ。女性たちは涼しくなった夕方に生活用水を汲みに来た。又、それは井戸端会議を楽しむためでもあった。しかし彼女は、人と会いたくないために、昼間に来た。人を避けての行動だった。

 

主は、そんな彼女の何もかもを知っておられた。井戸の所で、主の方から話しかけられた。ユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係で、敵同士の間柄だ。その中、声をかけた男性が不思議な事を言った。生ける水を与える事ができ、その水を飲むなら渇く事なく、永遠の命への水が湧き上がると。

 

彼女はよく意味がわからず、井戸水の事かと思い、もう汲む必要がないなら、その水を欲しいと言った。すると「あなたの夫を呼べ」と言われた。一見、会話がつながらない。井戸水と夫と、どう関係があるのか。不思議な言葉だ。しかし実は彼女は5回結婚し、5回離婚し、今は結婚でなく同棲していた。

 

その彼女の決して誰にも触れられたくない、核心部分をストレートに突かれた。人は、愛する人、富、名誉、地位、仕事・・この世の「水」で心を満たそうとする。しかしそこに決して満たしはない。彼女は男性が自分を満たしてくれると、求めた。だから何度も結婚と離婚を繰り返した。

 

だがそこに満たしはなく、救いはなかった。主はその罪を示し、悔い改めに導き、彼女を真の喜びと満足へと導かれた。私たちにとって、「あなたの夫」とは何だろう。何に依存しているのだろう。そこを対処し、真の喜びが湧き上がるように導いて下さる。

 

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内側から溢れてくる喜びは信仰により主からくる喜びだ。渇くことがない。もし渇いているなら主に求めよう。「わたしのもとに来て飲みなさい」と言われる主に求めよう。