「こうして彼らは・・すべて主が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」Ⅱサムエル21:14

祈っても祈っても、祈り続けるのだが、全く答えが見えないことを経験するだろうか。又、何か、ずっと打ち続く状況が目の前にあるだろうか。ダビデは3年間引き続くききんがあった。なかなかききんが、おさまらない。その時、ダビデは、ききんがおさまるように、この状況が何とかなるようにと祈ったのではなく、「主のみこころを伺った」。

 

ダビデはこの出来事に、主を仰ぎ、主の御心を求めた。主はどう思っておられるのか。豊作を求めたのでなく、この事の原因を伺った。この祈りは主の心にかない、すぐに答えが来た。サウルがギブオン人を殺すという罪を犯していたのだ。盟約を結んでいたにかかわらず、サウルは熱心の余り罪を犯した。その罪を神は見過ごされなかった。

 

そこで、ダビデはその事に対処した。ギブオン人たちに聞き、彼らが求める通りに、その事の償いを果たした。「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」。罪が示され、その償いをした時に、神は祈りに目を留められた。罪は祈りの妨げとなる。罪があるなら、祈りは聞かれない。「あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いて下さらないようにした」と。

 

熱心に祈っても答えが無い時には、立ち止まって、原因を求め、主の御心を探り求めよう。主はその祈りに答え、御心を示し、正し、祈りを軌道修正しつつ、正しく導いて下さる。主のお心を尋ね求めよう。

 

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時に主は、心の内を探らせたくて、祈りの答えを控えられる場合がある。そんな時は祈りを変えて、主のみこころを伺ってみよう。主が軌道修正を望んでおられる、何かがあるのかも知れない。御霊の光で、自分も気づいていない心の内を照らし出して下さる。