「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩篇37:5

祈りは聞かれるが、聞かれない祈りもある。悪い動機で願う祈りだ。「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして」とあり、自分の欲のために求める祈りだ。動機は大切だ。動機が間違っていたら、聞かれない。

 

ある人が、主に示された進路に進もうとした時に、未信者の親族たちから猛反対された。代わるがわる説得され、何やかやと言われる。しかしこの事は主の御心だと思え、祈りに祈っていた。しかしなかなか道が開かれず、なおも祈り続けていた。

 

周囲からの反対は変わらず、こんなに祈っているのに、どうして道が開かれないのか。しかし更に祈り続けた。その祈りの中で、心探られ内側が照らされた。確かに主の御心ではあるのだが、周囲の余りの反対に、反発心が起きて、心の中では反抗的になり、意地になっている自分に気づかされた。

 

心が頑なになっていて、何としてでも、自分の意志と力で突き進もうとしていた。主の栄光などではなく、自我そのものであった。心から悔い改めて、今一度主に自分自身を明け渡した。真に主の御心が成りますようにと思えた。その時、心が平安にされた。

 

そして、すべてを委ねて、祈っていると、時満ちて、門が開かれた。時と共に周囲も認めてくれて、御心の道へと進む事ができた。とにかく祈りに持って行くなら、間違った動機も、態度も教えられる。そして祈りも軌道修正されながら、御心へと導かれる。

 

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-祈りながら自分の本当の動機が示されたり、違う祈りへと導かれたりする。主は本当に必要なものを与えてくださったと知れることが、感謝だ。