「しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです」ヨハネ9:41

見えないものを見るために、重要な事は何だろう。まず光が必要で、光が無ければ絶対に見えない。真っ暗闇では、何も見えない。そして自分が盲目である事を知らなければ、決して見えるようにならない。自分が見えていると思っている限り、ずっとそのままだ。

 

では、見えるようになるためには、どうすればよいのか。自分が見えていないと認めることだ。その時、主が、見えるようにして下さる。パリサイ人たちは自分は見えていると言い張った。しかし人間の教えを教えるだけで、神の言葉が何も見えていない。盲目であるのに、見えていると言う。

 

見えていないと気づくなら、救いがあるが、見えていると言い張るところに罪が残ると主は言われた。人は、自分が正しいと思い込むと見えなくなる。物理的には見えていても、霊的盲目状態だ。祭司長やパリサイ人たちは、自分たちは神の戒めを守り、神に従っていると思い込んでいた。旧約聖書の学者であり聖書に精通していた。

 

それが、神が遣わされた御子イエスを認めず、殺そうとした。実際十字架へと追い込んで行った。自分を正しいとする時、何も見えなくなる。私たちも同様だ。神によらなければ、何一つできない盲目の者と知る事が、見えるようになる事だ。自分が見えていない者であることを知る事は、大きな祝福だ。そこから始まる。主が霊の目を開いていって下さる。

 

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見えると思っている事が視野を狭くさせ、主からの豊かな恵みを遮断させていると覚えたい。見えてないことを認めよう。いつも主に求め、変わり続けよう。主が成長させてくださる。