「彼はダビデに言った。『恐れることはありません。私の父サウルの手があなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそイスラエルの王となり・・』」Ⅰサムエル23:17

サウルはダビデを殺害すべく執拗に追いかける。ダビデはケイラの人々をペリシテ人の手から救った。サウルがそれを聞いて、ケイラに下り、ダビデを封じ込めようとした。ところが、ダビデはケイラの人々の裏切りを知り、神の示しにより再び荒野へ逃亡する。

 

ダビデが逃げた事を知り、サウルは討伐をやめた。神が介入されサウルが幾ら執拗に追っても、神はダビデをサウルの手に渡されなかった。ダビデは逃亡を続け、ジフの荒野に潜伏する。命をつけ狙われ続けて、いつ殺されるかわからない、まさに死と隣り合わせの恐怖であったろう。

 

サウルは一国の王であり、ダビデは僅か600人の部下がいるだけだ。いざとなればサウルは国民全体を招集できる。その時、ヨナタンが「神の御名によってダビデを力づけた」。「父の手があなたの身に及ぶことはない。あなたこそ、イスラエルの王となる」と。神が、ダビデをサウルの手に渡すことなく守られると。

 

ヨナタンは状況を見るのでなく、神の約束を見ていた。王の息子が、ダビデにはっきりと、あなたこそ王で、自分は次に立つ者だと言った。ヨナタンは神に従う者であり、神を見ていた。彼の信仰だ。ヨナタンは、神の御名によって力づけた。

 

それは人間的な励ましでなく、神の約束に立った力づけだ。神の約束が成就する。見えるところ、どんなに危機的状況でも、神の主権と支配の中だ。

 

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状況に飲まれない神の御約束に立ち、大丈夫だと励まされたら、どれほど心強いだろう。冷静な判断もできない試練の中で大きな指針だ。もう一度神を仰ぎ、心が燃やされる。