「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう」ピレモン15

 ピレモンの奴隷であるオネシモは、主人の物を盗み逃亡した。それがローマで捕らえられ投獄に。そこで獄中にいたパウロと出会い、回心する事になった。当時、逃亡奴隷は死刑であった。主人にその権利があった。そのため、パウロはオネシモの主人ピレモンに執りなしの手紙を書く。損害はすべて自分が償うので、どうかオネシモを赦して欲しいと。

 

目に見える状況的にはそのようだが、神の視点に立つと、全く別の見方になる。オネシモは悪事を働き、罪を犯した。そのためローマに逃亡する事になった。しかし、そこでパウロに出会う事ができた。災いが益とされる。オネシモは悔い改め、主のものとされた。神の見方によるなら、オネシモが一旦ピレモンのもとを離れたのは、主にある愛する兄弟として、永久に取り戻すためとなる。

 

神の視点で、状況を、人生を見て行くなら、どんなに救われる事だろう。ヨセフも同様だ。自分を妬み、明白な悪意でもって、エジプトへ売り飛ばした兄たちに「あなたがたは悪を計ったが、神はそれを良いことのための計らいとされた」と言った。はっきりと悪を計ったと言い、しかし神はその悪意をも最善への計らいとされると。

 

先にヨセフをエジプトに送り、総理大臣とし、大飢饉の中、一族の命を救うように計られた。どんな最悪の事態、状況をも、神は最善へと導かれる。今、悩み、問題、困難、苦しみの中にあるなら、神を信じていよう。神にはご計画があり、その苦しみが益とされ、必ず平安の落とし所へと導かれる。

 

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オネシモは罪を犯して逃亡したのだが、永久に取り戻すために、しばらくの間離されたのだと言っている。目の前の事態を神視点で見る時、全く変わって来る。「愛されている」「ご計画がある」「万事益とされる」「災いでなく、平安と将来と希望のためのもの」だ。