「主がバラムの目のおおいを除かれたので、彼は主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ」民数記22:31

バラク王が、バラムにイスラエルを呪うようにと言った。しかし神はバラムに「彼らと一緒に行ってはならない。その民を呪ってもいけない。その民は祝福されているからだ」と答えられた。しかし結果的に、なおも出て行くバラムに、主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちはだかった。

 

主が阻止された。私たちも目の前で、順調な歩みを阻止される事がある。そんな時、思い通りにならずに、挫折を感じてしまう。入学試験、就職試験、願いが叶えられて前に進みたいのに、不合格、不採用になる。がっくり落胆してしまう。何だか自分を否定されたように感じて落ち込んでしまう。

 

しかしそうではない。御心の道では無かったという事だ。主が止められている。別の、更に良い道が備えられている。振り返る時どうだろう。あの時、この事、強い願いのあった道が閉ざされたが、しかし遙かに良い道が備えられていた事に気づく。間違った道にそれなくて良かったと。

 

主は、私たちが御心ではない方向へ進まないよう、行く手をはばんで、立ちふさがれる。私たちを立ち止まらせるためだ。不運だったのではなく、たまたまではなく、主の取り扱いだ。今、もし、目の前の道が閉ざされているなら、「出て来たのはわたしだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ」とのメッセージかも知れない。

 

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行きたい所、通したい思いに目をふさがれれば御心とは逆の道に行ってしまう。行く手をさえぎることで主は御心を知らせてくださる。信仰の目で見ていこう。