「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう」箴言27:4

妬みは誰しも経験するやっかいな罪だ。サウルはダビデを妬み、妬みは憎しみに増幅し、殺害の思いにまで高じて行った。カインは献げ物の事で、神に拒まれた事から、怒りが弟に向かい、弟アベルを妬み、妬みゆえに実際に殺害してしまった。祭司長たちは、主イエスへの群衆の人気を妬んだ。その嫉妬は十字架にまで追い込んで行った。

 

妬みは、相手の環境や持っているものを、自分に無いものを羨む事から始まる。地位、才能、人気、境遇、周囲の評価、賞賛・・。だが不思議だが、自分と余りにも環境が異なる相手を妬むことはない。例えばスターや何かに秀でた有名人に羨望はあっても、それを妬みに妬んで、どうのこうのは無い。

 

だいたい自分と同じ位の、同じ種類の相手を妬むと言われている。手の届くところにいるような相手で、自分の持っていないものを持っている相手だ。自分が喉から手が出るほど、欲しいものを持っている相手。サタンからの妬みの誘惑に要注意だ。

 

ある人は、どうしても職場の同僚の成功を祝福できず、能力は自分の方が上なのにと、悔しさで一杯だった。しかし平安は全く無く、心が重く苦しくてたまらなかった。その状態に耐えきれず、御前に祈った。「喜ぶ者といっしょに喜び」、とても無理、出来ませんと心を告げ、長い時間祈っていた。

 

しかし、このままで良いはずもなく、とうとう意志を向けて「祝福します」と心を砕いた。相手の祝福を祈った。その時、心に安堵が来て、すう~っと心が解き放たれた。とにかくまず主のもとへ行こう。御心の解決へと導いて下さる。

 

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怒りには和解の道もあるが、妬みは陰険な闇の世界でサタンの思うつぼだ。苦い思いが妬みから来ているのなら、主に認めて、光に出そう。主に差しだし、手放そう。