「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます」ルカ11:9

ある人に、真夜中に友人が来た。あいにくパンを切らしていた。それで隣人にパンを三つ貸して欲しいと頼んだが、こんな時間に迷惑だと、子供がまた起きてしまうと断られた。しかし空手で帰れず、借りるしか方法がなく、引き下がるわけにはいかない。なおもしつこく求め続けた結果、隣人は貸してくれた。

 

しかしその動機は、うるさくて、もう早く立ち去って欲しかったからだ。このままだとずっとやみそうにない。別に愛や親切からくれたのではない。しかし神は違う。御父は、私たちを独り子を下さるほどに、極みまで愛しておられ、うるさいからではなく、面倒だからでなく、愛ゆえに与えて下さる。

 

アウグスチヌスの母モニカの祈りは有名だ。放蕩息子のために、モニカは何年も何年も祈り続けた。ところが、祈れば祈るほどますます息子は堕落して行った。見えるところ正反対だ。だが「涙の子は滅びない」と言われ、更になおも祈りに祈り続けた。

 

そんな中、息子がローマへ行くと言う。ローマは誘惑の溢れた歓楽街、ローマ行きが止められるよう祈り続けた。しかし、彼はローマへ行ってしまった。が、まさにそのローマで、彼は悔い改めに導かれ、神に立ち返った。祈りは見事に答えられた。

 

祈りの答えに「神の時」がある。時が満ちると実現を見る。失望せずに祈り続けよう。祈れば祈るほど、事態が悪くなって行くように見えたとしても、時が来ると必ず実現し、実を結ぶ。祈りの答えを見る。御心に適った祈りは必ず叶えられる。

 

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すぐ答えられる祈りがあり、長くかかる祈りがある。祈り続けよとの祈りがある。又、一見、祈っているのに、更に事態が悪くなって行くように見える事がある。しかし失望せず祈り続けよと言われる。目の前の長く祈っている祈り、状況でなく御言葉を見て、祈り続けよう。