「神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだと確信したからである」使徒16:10

主は私たちを導く時に、環境を通して導かれる場合がある。パウロがアジアで宣教しようとすると、聖霊に阻止された。ビテニヤへ行こうとすると、それも阻止された。つまり状況的に、何らかの事情が出来て進めなくなったと思われる。「行くな」と言葉で言われたのでなく、何かの事情が生じて前進できなくなった。

 

それでトロアスに下った時に「マケドニヤへ渡って来て私たちを助けて下さい」との幻を見た。この幻を見た時、ずっと祈り続けていたであろうパウロは、マケドニヤ行きを神が導いておられると確信した。パウロは「確信した」ので「ただちに」マケドニアに向かった。

 

ここで学ぶ事ができる。神は環境を用いて御心でない道を閉ざされる。もしこの聖霊の阻止が無ければ、パウロは御心に反する方向へ向かっていた事になる。私たちが切に願っていた進路が閉ざされた時、落胆し、心は真っ暗になる。だがそうでなく、神があなたのために、更にふさわしい別の道を備えておられるという事だ。

 

又、「確信した」とあり、祈り続けるなら、神は必ず「確信」を与えて下さる。今、一歩前進を躊躇させるものがあるなら、不安があるなら、「確信」が与えられるよう祈り求めよう。「確信する」事によって、一歩を踏み出すことができる。そして、確信が臨んだなら、彼らが「ただちに」マケドニアに向かったように、行動を起こそう。

 

そこでなおかつ行こうか、どうしようかと、ぐずぐずしていたなら機会を失ってしまう。御心を確信したなら、次に必要な事は、今すぐに「ただちに」行動に移す事だ。

 

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よくよく祈り、祈りの答えを見張り、又、心の平安を探り、御言葉に目を留め、環境を見ていよう。アンテナを張っているなら、進むべき道を導いて下さる。不安があるなら更に祈る時、その具体的な不安に対して答えを与えて導いて下さる。