「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」マタイ6:21

マリヤは、主がこれから十字架に向かおうとされる事を悟り、彼女の持てるすべての香油を、主の頭に注ぎ切った。その香油は300デナリで、1デナリが労働者1日分の給料であり、給料10ヶ月分だ。今なら1日1万円として300万円だ。大変高価な物だった。それを見た弟子たちは、何て無駄な事をするのか、貧しい人々に施せたのにと、マリヤを非難し憤慨した。

 

しかし、主は、マリヤのその行為の意味を理解しておられた。「わたしのために、りっぱなことをしてくれた」のだと。「わたしのために」埋葬の準備にと前もって油を塗ってくれたと。それが、主に油を塗ることの出来る最後の時であった。それから主は十字架へと向かわれたのだから。そして、週の初めの日の明け方、何人かの女性が、主のご遺体に香料を塗るために、墓に行ったが、もう主はおられなかった。

 

主は復活されており、誰も油を塗ることができなかった。まさにマリヤが塗ったナルドの香油が最後の油だった。これから十字架にかかる主を、どんなにお慰めした事だろう。マリヤは、大切な香油は、無くなってしまったが、その犠牲の大きな分、心が一心に主に向かった。私たちの宝のある所に、私たちの心もある。

 

マリヤは主への後悔の無い晴れやかな確信が深められた。献げる事の意味を知り、大きな祝福を味わい、生涯主に献げて生きただろう。時と機会は大切だ。その時にしか献げる事ができないものがある。機会を逃してはならない。マリヤのように主の御声に真剣に耳を傾けていよう。時と機会を悟らせて下さる。

 

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必要なものは全て天の父から与えられるのに、与えられた物に望みを置いてしまう。気をつけていよう。ふさわしいものを、ふさわしい時に用いられたい。