私たちは、神以外のものに執着すると、神が見えなくなってしまう。太陽の前に10円玉を置くと、あんなに大きな太陽が全く見えなくなるように。そのように、神の前に置いたものは、偶像となってしまう。主を裏切ったユダは、主の前にお金を置いたばかりに、主が見えなくなった。
金持ちになりたがるなら、誘惑と罠に陥り、破滅と滅びへ向かう欲に陥るとある。「金持ち」とは金銭だけでない。地位、名誉、賞賛、評価、人の上に立ち、人を支配したい欲であり、自分が認められたい欲望だ。その欲は、悪魔の誘惑と悪魔の罠に陥るとある。信仰から迷い出てしまう。そして迷い出ていて気づかない。
クリスチャンになれば、石や木の神を拝む事などまず無い。気をつけるべき偶像は目に見えないものだ。飲酒やギャンブルならすぐわかるが、それが麗しい、愛するもの、慕わしいもの、喜ばしいもの、良いものであると気づかない。握り締めて放さないものがあるだろうか。
神より大切になってしまっているだろうか。 自分の内に偶像がないか、御霊に探って頂こう。そのままにしておくと、ユダではないが命取りになってしまう。主のもとに行き、主に告白し、偶像を献げよう。きよめられ、主がはっきりと見えて来る。10円玉が除けられると太陽がくっきり見えるように。その時、ぼんやりしていた神の御声が聞こえ、信仰に前進できる。
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心に慕うもの、活力としているものの光で、簡単に主が見えなくなってしまう。主に慰めや助けを求める時は、足りない自分を認めたときだ。与えられている物ばかり見ていないか探っていただこう。