「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道の書3:1

主は、家を出て、荒野で野宿するヤコブに現れ、「あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し就げるまで、決してあなたを捨てない」と約束された。この地に連れ戻すと。しかし、その約束の成就には、1年や2年ではなく、20年の月日を要した。20年とは、気が遠くなるほど長い歳月だ。私たちは、しばしば待つ事が苦手だ。

 

しかし、神は早急にではなく、地道に、時間をかけながら、こつこつと私たちを導かれる。今の1日1日は、主に在って、練られきよめられ、造り変えられる途上にあり、1日とて決して無駄な日は無い。必ず時は満ちて、「神の時」は到来する。そして神の約束が成就して行く時には、よく見ていると、予兆がある。

 

微動だにしなかった状況が、少しずつ動いて行く。環境に微妙な変化が出て来る。ヤコブの周囲の状況も変化して行った。ラバンの息子たちが、父の物をみなヤコブが盗んだとの物言いをする。ラバンの態度も変わって来た。このままなら争いが起きそうだ。ヤコブへの対応が変わり、微妙な空気を感じ取る。

 

そんな時に、はっきりと主の御声が臨んだ。「さあ立ってこの土地を出て、あなたの生まれた国へ帰れ」と。神の時が来た。私たちも状況の変化をよく目に留めていよう。そして、明確な、神の御言葉が臨む時が、行動を起こすべき時だ。必ず神の時はやって来る。

 

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試練にも、主の定められた期間がある。それより延びる事は無い。試練のまっただ中では、苦しみが永遠に続くように思えてしまうが、すべてに時がある。耐えられない試練は無く、逃れの道があり、試練の度に成長が与えられる。状況でなく御言葉を見つめていよう。