「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病をいやしてくれると思っていたのに」Ⅱ列王5:11

将軍ナアマンは、らい病を患っていた。そんな時、捕虜の少女からエリシャの事を聞いた。それで、らい病を癒やしてもらうために、エリシャのもとを訪れた。しかし将軍が、馬と戦車を伴い、たいそうないでたちで、直々に訪ねているにかかわらず、エリシャは会う事もせず、使いの者に伝言で用を済ませた。

 

その扱いに、ナアマンはプライドをひどく傷つけられた。ましてや、厳かな儀式で手を置いて癒やすのではなく、ヨルダン川で七回身を洗えと。「とてもじゃないが受け入れられない。ダマスコにもっと良い川がある」と激怒した。ひどく傷ついたからだった。神はこのナアマンのプライドをご存じで、エリシャを用いて、砕こうとされた。

 

自分はいっぱしと思い、人よりは上と思い、自分の思いに神を従わせようとする態度は、ナアマンだけだろうか。人間のプライドは、神の恵みと相反する。相容れない。神はナアマンに、真の救いと、真の癒やしを与えるがために、そのところを通された。彼の非常に高い「プライド」が取り扱われる必要があった。

 

彼は怒って帰途についた。その時、しもべたちがナアマンに進言した。難しい事を言われたならプライドが保てた。しかし、余りにも単純で簡単で、又、人々の目にさらされる奇異な状況に、とてもプライドが許さない。だが、とにかく言われる通りしてみたら、いかがなものかと。

 

ナアマンはその進言に耳を傾け、プライドを捨てて従った。すると奇跡が起きて、らい病が完全に癒やされたのだった。あなたも今の問題はプライドだろうか。自分の思いを通そうとしているか。主が取り扱おうとされているか。それを捨てて従う時、大きな祝福に出会う。

 

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自分の価値観の中で、納得いく方法であわれみを受けたいという、あくまで傲慢なナアマンに学ぶことが多い。引き返さず導きに従おう。従順の先に大きな主のあわれみと祝福が待っている。