「しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった」マタイ15:23

異邦人であるカナン人の母親が主に助けを求めた。愛する娘が悪霊につかれていた。彼女の求めは、非常に切実であった。「ダビデの子よ」と求め、すがりつくように叫び求めた。この必死の叫びに、主は、答えて下さるはずと私たちは思う。だが主は「一言もお答えにならなかった」。冷ややかな無視に思える。

 

しかし彼女は決して諦めず、大声で叫びながらついて来る。弟子たちが、帰して欲しいと苦情を言った。それに答えて、「イスラエルの羊以外には遣わされていない」と言われた。すると彼女は「ダビデの子」を「主よ」と変えて、決して諦めず、なおも助けを求め続けた。

 

カナン人の彼女は異邦人であり、イスラエルではない。「ダビデの子よ」と言う権利は無い。彼女はへりくだって正しい位置についた。すると、主は「子どもたちへのパンを、子犬に投げてやるのは良くない」と言われた。何という冷たい言葉、に聞こえそうだが、そうではない。

 

実は、主は彼女が正しく求める事ができるように、正しい道筋へとずっと手助けをしておられた。彼女は「その通りです」と認め、へりくだり、「しかし小犬でも食卓から落ちるパンくずはいただきます」と求めた。主は彼女の信仰に驚かれた。娘は癒やされた。彼女は主があわれんで下さると信じたからこそ、諦めなかった。

 

主への信頼だった。怒ったり、腐ったり、いじけたらどうだろう。彼女は「その通りです」とどこまでも受け入れ、へりくだった。そして、一見拒絶されたかに見えそうだが、主を信じた。あなたも今、信仰を試されているだろうか。主は正しく導いて、答えて下さる。求め続けよう。

 

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様々な悲しみを抱えて日々主の前に祈るが、主の応えがないように思えてしまう時もある。その時でさえ導きの中と、主の前にひたすら、へりくだりあわれみを求め続ける者でありたい。