「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」エレミヤ33:3

ある人が、主を信じてからも、古い習慣が根強く残っていた。それは、何かあるとすぐに人に頼り、聞いてもらい、答えを得る事だった。聖書の学びを通して、まず主に祈る事をずっと教えられた。ある突如の問題が起きた時、まだ携帯の無かった頃、次々と導き手や主に在る友人たちに電話した。ところが次々と電話するが、何と全員が出かけていて留守録だった。

 

その時にハッとして、いつもの学びに気づいた。まず人に頼るのでなく、まず主に頼り、祈る事だと。主の示しを感じた。その問題をまず祈りに持って行けた。その祈りは答えられた。又、ある時は経済的苦境に陥った。突然の大変な出費があり、給料前で手元にお金が無くなった。赤ん坊のミルクとオムツが無い。

 

どうしようもなく、未信者の夫が、友人に少し借りて来ると言った。給料日にすぐに返せるからと。だが自分は、まず主に祈り、主に頼りたかった。心の中でその事を祈った。すると夫が、行く前に、近くに住む一人暮らしの義父をのぞいて来ると出た。主に感謝して、夫が出た時間、必要を求めて、心を注ぎ出して祈った。

 

長く祈っていて、ふと背後に人の気配を感じた。すると何と夫が、両手にミルク缶とオムツの袋を持ち、立っていた。驚いて聞くと、行くと丁度、職場の上の人が義父の見舞いに来てくれ、見舞金を置いて行ったと。とりあえず必要な物を買って来たと。即、祈りに答えられ心から感謝した。そして主のご愛に触れて、心は喜びで満ちた。

 

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平安をください、助けてください、知恵を与えてくださいと、ことごとく神を呼ぼう。祈るとふっと知恵が与えられたり、そうだったと忘れていた事を思い出したり。理解を超えた助けが神からくる。