「バビロンに70年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み・・あなたがたをこの所に帰らせる」エレミヤ29:10

エレミヤの時代、イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされ捕虜として連行された。だが、そのアッシリヤは、バビロンによって滅ぼされた。ユダ王国もバビロンによって、どんどん侵攻され、とうとうユダもバビロンに捕囚の身となり、捕らわれて行った。当時のユダは神から離れ、民は堕落し、偶像礼拝の罪に陥っていた。それなのに預言者たちは、耳ざわりの良い、心地良い言葉だけを語っていた。平安が無いのに「平安、平安」だと。

 

しかし、神の人であるエレミヤは真っ直ぐに真実を語った。そのために苦しめられた。バビロン捕囚のさ中、真っ暗な、一見絶望的な中で、エレミヤは神の言葉を告げた。それは「災い」としか見えないが、「平安・将来・希望」のためのものと。将来があり、希望があると。すぐに解放にはならないので、その地で落ち着いて、腰を据えて生活するようにと。そして、敵であるその町の繁栄を祈れ、それは自分達の繁栄になるからと。

 

私たちも苦悩の時、一番欲しい言葉は「即、答え、問題解決」「即、悩みから解放」だ。しかし口先だけの励ましは、更に傷が深くなる。そうでなく、かせのような、つらい現状を受け入れる時、その中で神からの支え、励ましにより前進して行ける。現実を受け入れられるよう祈ろう。

 

いつまでもそのままではなく、「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰らせる」。現状を受け入れ、神に従って行こう。そこに「平安」が約束されている。そして「神の時」に、解放して下さる。

 

・・・・・・・・・・・「バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土地にいこわせる」とあり、与えられたつらい状況を受け入れる時に、状況はそのままだが、心に平安が与えられる。状況にあらがうので、苦しいばかりになる。受け入れられるよう祈ろう。