「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道の書3:11

神は、神のスケジュールを持っておられる。種蒔きの経験があるだろうか。良質の土に、まず種を蒔いて、水をやり見守っていると、小さな芽が出て来る。その芽は時間の経過と共に、少しずつ伸びて生長し、やがて花を咲かせ、そして見事な実がなる。植物の生長にも、神は時を定められ、時のスケジュール管理がある。 芽、茎、花、実と、神の秩序がある。

 

「夜は寝て、朝は起き、そうこうしている内に、種は芽を出し育つ。どのようにしてか人は知らない」とある通りだ。もしこれを無視したらどうだろう。種から芽が早く出るようにと、種に裂け目を入れたなら、又、早く花を咲かせたくて、茎を引っ張ったならどうか。種も、茎も死んでしまう。

 

神の時をじっくり待たないなら、かえって損ない、出る芽も出ず、咲く花も咲かず、実もならない。私たちの成長も同様だ。霊的成長には必ず時間がかかる。長期戦であり、神のスケジュールは、非常に地道な長期計画だ。悪あがきをせず、人生の苦しみ、喜び、悲しみ、楽しみの、それぞれの「時」をしっかり受け入れ、受け止めて生きて行く事が大切だ。

 

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること」。御言葉は、人生には順境も逆境もあると言っている。受け止めて行く事こそが成長とされる。ダビデは「四方八方みな恐怖」で出口も見えない苦難の時に、この「時」が、神の「御手の中」にある事を見た。そしてそれらは、神の「時」にかなって導かれて行った。

 

何の希望も見えない時も、この「時」は、愛の「御手の中」にある。神は時を握っておられる、愛なる神に目を向けていよう。その時、神のなさることは、すべての事が、時にかなって美しいことを現実に体験して行く。 

 

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神は人の心に永遠への思いを与えてくださった。明日を知ることはできなくても、すべては神の御手の中にある。希望を持って今日を十分に生きよう。