「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」詩篇119:59

神に従うためには、御心に従おうとの意志を向けること、意識的な選択が必要だ。オートマチックで従えるのはなく、身体が勝手に動くのではない。没人格、没個性になるのではないし、夢遊病者かのように、意識せず従って行くのではない。意識して、御霊の導きの方を選択し、御霊に拠り頼んで行かなくてはならない。

 

主に拠り頼む必要がある。神が、私たちを操って従わせられるのではない。それなら操り人形であり、ロボットだ。また、私たちの意志を無視して、神が代わりにされることもない。詩編記者は自分の道を顧みて、主の御心の方向に「足を向け」た。祈り続けていたのでなく、足を向けて、実際に行動した。

 

私たちも御心と違う方向に向いていたなら、今、主の御心の方へと、自分の足を向けよう。何かの示しを受け、従うように導かれているなら、決心して実行しよう。「急いで、ためらわずに」とあるように、ぐずぐずしていると、気力が失せて、必ず従えなくなってしまう。経験あるだろうか。御心を行おうとする時には、サタンが来る。妨げが来る。

 

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行え」とあるが、つぶやきや疑いが心に上る。「何で自分がしなければならないのか」「しなくても良いのでは?」「今でなくても良いのでは、もっと後で」ちゅうちょする思いが出て来る。なすべき事は「急いで、ためらわずに」実行する事が大切だ。示されているなら、一歩踏み出そう。

 

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いつも自分の歩みが御心を離れていないか顧みてみよう。主のさとしの中にいることが祝福だ。つぶやきや疑い、心に来る苦い思いから主へと引き戻してくれる御言葉と日々親しく交わろう。