「そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた」詩篇106:15

時に、自分が、どうしても欲しいものがある。経験あるだろうか。どうしてもそれを得たい。しかし、その自分が喉から手が出るほど欲しいものが、果たして本当に自分に必要なものなのだろうか。それを、神に祈り求める事ができるなら大丈夫だ。「欲望」の強い誘惑から守られる。

 

人の欲は、欲しいと思い始めると、その思いは募るばかりだ。際限がない。だが欲しいものと必要なものは違う。祈りなく、単に肉で自分の欲しいものを求めて行くなら、欲のとりこになってしまう。貪欲の罪に陥ってしまう。今、どうしても欲しいものがあるなら、それが自分にとって、本当に必要なものかどうかを、神に祈ろう。

 

祈るならすべてにおいて守られ、サタンの足場を砕いてしまう。そして、もしそれがあなたに必要なものなら、神はどうであれどのようにしてでも、必ず与えて下さる。しかしまた御言葉は言う。「そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた」。

 

神の御心に反してでも、どうしてもと欲するなら、神はそのものを与えられるとある。が、それによって、たましいはやせ衰えると。「彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた」結果だと。神は与えられるが、それを手にして、心は虚しく荒んで行くことになると。

 

肉の性質があり、欲もある。主から離れないため、守られるために、今強く求めているものが、真に自分に必要かどうか、御心なのかどうかを、神に問おう。そして御心なら必ず与えて下さるので、忍耐を持って待ち望もう。

 

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祈っても手に入らないとき、諦めるか、待ち望むのか、そこを悟れるようにと祈りたい。欲望を主に一度手渡すことで、間違った誘惑ならば、心も守られる。