「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった」マタイ19:13

親たちは、主に祝福していただこうと、子供たちをみもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを叱った。弟子たちにとって、幼子は、わきまえなく騒ぎ、うるさく、役に立たず、教えも理解できず「足手まとい」な者であった。しかし主は、「止めてはいけない」と、幼子たちをみもとに招かれた。

 

そのような幼子は、ただ「受ける」しかない、受け身の弱い存在であり、親の世話がなければ、一日たりとも生きて行けない、そんな子供の無力さ、弱さに、主は「神の国はこのような者たちのもの」と言われた。幼児は無力だ。何の力も、知恵も、判断力も無い。ただ受けることによって、誰かを信頼することによって生きている。

 

自力で生きる事ができない。しかしだからからこそ、素直で、「来なさい」との声に、何もためらわずに従う。自分を抱いてくれる人の腕では、身も心も命までも預けきって、すやすやと安らかに快適に眠る。主はそんな幼子の無力さ、弱さを、そのまま受け止め、祝福された。そして、私たちに、幼子のように神の国を受け入れる者であれと、教えられた。

 

親の腕の中で、何の不安も心配もなく、安らかに眠る幼子、何と幸せだろう。親に全面的に頼らなければ生きて行けないからこそ、親さえいれば、どんな中でも安らかだ。状況など全く関係無い。私たちも御父に、素直に、全面的に頼ることを、御父は喜ばれる。

 

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幼子に比べ、どれほど平安で自信を持って生きられているだろうか。自分に頼り自分で守ろうとするから間違えていないかと絶えず不安になる。御父の子供とされている恵みに信頼しきって生きたい。