「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」ヨハネ8:12

マルタとマリヤの姉妹が使いを遣わして、主に、弟ラザロの病気を知らせた。主に知らせさえしたら、主が必ず何とかして下さると信じていただろう。しかしあえて主は動かれなかった。人間的には一刻も早くと思うが、二日もそのままとどまられ、ラザロが死ぬまで待たれた。ラザロの死後に、主は「ユダヤに行こう」と言われた。 すると弟子たちは、ユダヤに行くと石打ちに会い、殺されてしまうと。その時に主は「昼間歩けば、つまずくことはない」と言われた。「この世の光を見ているから」だと。主に従ってさえいれば、大丈夫なのだと。状況の問題でなく、主の問題であり、御心の中にあるかどうかがすべてだと。

 

つまり主の言葉に従って歩む事が、昼間歩く事であり、従わない事が、夜歩く事だと。夜、歩けばつまずく。光がその人の内に無いからと。主から目を離した途端、すぐにつまずいてしまう。暗闇の中だ。この苦しみは「何で? どうして?」疑い、不安、恐れに襲われる。つまずき倒れてしまう。

 

だが主を見上げているなら、私たちの内の光は輝き、明るい。どんな暗い、困難な中でも歩んで行ける。つまずくことがない。なぜなら、光を見ているから。光があるので、どんな状況の中でも歩んで行ける。そして、主に従い、御心に従って行くなら、私たちの内にいのちの光が輝く。

 

状況は最悪でも、心に御霊の喜びがあるので、前に進んで行ける。肉は、暗闇を愛してしまう。肉は自分の欲望を遂げたいし思い通りにしたい。今、もし御心と自分の思いの岐路に立っているなら、神の御心の方を選べるよう、助け手を求めて祈ろう。

 

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主はまことの光であり、御言葉は足を照らす確かな光。困難にあっても御言葉の約束の光があるので希望がある。肉は欲望を遂げようとするが、光の方へ行こう。つまずかない道を歩もう。