「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばを聞き入っていた」ルカ10:39

結婚生活を建て上げるためには、双方の努力が必要だ。オートマチックではなく、単に同居していれば良いのでもない。関係を育んで行く事が大切だ。苦しみや悲しみ、喜びを共有する事で、絆が深められて行き、又、互いに犠牲を払い合う事で、愛が深められて行く。人との関係と同様に、主との関係も交わりが必要だ。

 

何もせず、オートマチックに深まることはない。そして、愛するためには、時間が必要だ。マルタとマリヤの箇所で、学ぶことができる。マルタは行動力があり、家事能力があり、テキパキと、家事をこなして行けた。目まぐるしいスケジュールをこなして行く私たちだろうか。それらが好きなのかも知れない。

 

御前に座するより動き回る方が充足感が得られるだろうか。しかし余りに忙しいと、私の仕事、私の責任、私のなすべき事、それらがおおいかぶさり、進まなければ焦りが、いら立ちとなる。思い煩いやイライラに支配され、何をしているのかわからない。状況を周囲を責め始める。主の御前に座り、主と交わらなければ、感覚が薄れて行ってしまう。

 

いつしか、羊飼いの、愛の御声を聞き分けることも、うとくなってしまう。マリヤも別に暇なのでなく、忙しかったろう。「マリヤはその良いほうを選んだのです」主との交わりは選択が必要だ。一つだけの良い方を選ばなければ、ずっと次善になってしまう。自分はどうだろう。主は御声をかけたいと待っておられる。

 

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選ばなくては、いつの間にか祈りもデボーションの時間も後ろに置いて時間が過ぎていく。自分の優先事項しか見えなくなっていたら、主との交わりに戻ろう。