「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる」箴言16:1

私たちには、自分の思いがあり、計画がある。これはこう、あれはああして~と、これが最善との自分の思いがある。しかし神にもプランがある。ヨセフの生涯には顕著に現れている。父親の偏愛のため、兄達たちの妬みを買い、隊商に売られ異国の地へ。孤独や不安、心中はいかばかりだったろう。

 

だが買い取られた先の主人に忠実に仕え、主人の好意を得、全財産を任せられるほどに。「主が共におられたので」とあり、主による事であった。しかし又も苦難が臨み、無実の罪で投獄に。しかしそこでも「主が共におられ、監獄長の心にかなうようにされ」模範囚となり全囚人の管理を任された。

 

いよいよ出獄かと期待したが、献酌官長との約束は忘れられ2年が過ぎた。神の時は何と測り知れず長いのだろう。結果的には2年だが、その渦中ではどんなに試され、忍耐が要った事だろう。最終的に総理大臣となり、飢饉の中、ヤコブや兄弟たちの命を救う事になる。

 

ヨセフが売られて以来10数年だ。命を救うため、神が先にヨセフを送られた。ヨセフ自身にも自分のプランがあったろう。神のプランは想定外であったが、結果的に遙かに素晴らしいものであった。私たちにも自分の人生計画がある。 しかし神の計画は、必ず遙かに素晴らしい。ヨセフは神の計画を歩み、信仰も品格も練り上げられ、使命を全うできた。自分の肉の計画は虚しい。神のプランの道は永遠に至る。残りの人生、神のプランに歩めるよう祈ろう。

 

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神は御心のままに志を与えてくださる。神の導きか自分の計画か、よく悟れるように祈りたい。神の導きなら疑いたくなる状況でも、信じて歩めるよう信仰も求めていこう。