「愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる」箴言12:15

 自分は一体へりくだっているのか、高慢なのか、それは一つの事で試せる。謙遜な人の特徴は、人の忠告に耳を傾け、痛い警告を聞く用意があるという事だ。これはへりくだっていないと決して出来ない。高慢は、そのプライドゆえ、人の忠告を決して聞けないし、人の意見など全く聞く気はない。自分は常に正しく、それも一番正しいのだから。

 

特に自分の弱さや、触れられたくない所など、絶対に人に触れさせない。私たちはどうだろう。弱さを隠し、有能な強い自分に見せていたいだろうか。真に強い人とは、自らの弱さを認める事のできる人だ。失敗しない人ではなく、失敗を決して隠そうとせず、人の前にも素直に認める人だ。

 

ダビデの素晴らしさは、姦淫と殺人という大罪を犯したが、ナタンの忠告に耳を傾けた。そして自らの罪を認めた。ここが信仰の人ダビデたるゆえんだ。自分は王であり、最高権力者だ。ナタンなど、どうにでも出来る立場にあった。即、首を跳ねる事も来た。ウリヤにしたように。だが、ダビデは真摯に悔い改めた。

 

彼の罪はすべての人の目に明らかになり、ダビデは砕かれた。しかし悔い改めにより、その罪は完全に赦され、罪はおおわれた。ダビデは失敗から学んだ。罪を認めて悔い改め、御霊に教えられて行く人は、同じ失敗から守られる。

 

この謙遜がなければ、後のダビデは無く、あの詩篇も無かった。失敗したならやり直せばよい。主がナタンをあなたに遣わされたなら、あなたのナタンに耳を傾けよう。それは神から示しであり、あなたへの慈しみだ。

 

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間違いを指摘されるのは痛く、心を閉ざしたくなるが、助言、苦言は感謝だ。本当の自分を見せられる。神にも人にも心を開いて学び続けたい。