「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」詩篇34:5

家にある寒暖計は、現在の温度を正確に示す。暖かくなると上がり、冷えると下がる。霊的生活でも、同様の事が起きている。周囲の寒暖に。状況に、正確に反応してしまう事だ。相手が暖かく親切であれば。こちらも暖かく愛深く接する。相手が意地悪で、きつく当たって来るなら、こちらも冷ややかに反応してしまう。 これならすべてが相手次第になってしまう。

 

相手が良い人であれば、自分も良い人になり、相手が意地悪なら、自分も意地悪になる。それでは自分が全く無い。相手にコントロールされている。そうなると、自分が怒るのは、相手が怒らせるからであり、怒るような事を言う相手が悪いとなる。

 

すべて自分はいっさい悪くなく、相手が悪い、周囲のせいになる。しかし、信仰によって生きるとは真逆のことだ。何があろうと、どうなろうと、人のせいにせず、環境のせいにせず、神を信じて生きて行く。つらい状況のまっただ中で、相手のせいにせず、神が良くして下さること、最善をされる事、ご計画があること、愛して下さっていることを信じて行く。

 

それが人に反応するのでなく、神に反応した生き方だ。神に向き、御言葉に反応して生きて行く時、人依存から解放されて、自立して行ける。周囲の気温に反応する「寒暖計」でなく、温度を調節する「サーモスタット」だ。状況でなく、いつも主に、御言葉に心を向けよう。

 

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主から目を離すと、すぐに人に反応し、状況に反応してしまう。そして飲み込まれて、翻弄されてしまう。主を仰ぎ見ると、我に返る。日々、主との地道な交わりを重ねて行くことが大切だ。交わりに生きて行く時に、目を離している事に御霊が気づかせて下さる。