「その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない」詩篇1:2

別の箇所には「主を頼みとする者」は「水のほとりに植わった木のよう」とある。私たちは生涯、そして日毎に何かに頼って生きている。自分は、誰にも何にも頼らず、自主独立だと言う人がいるが、聖書的にはあり得ない。人間は被造物なので、何かに頼らなければ生きて行けない。神に頼らなければ、必ず他の何かに頼っている。

 

自分に頼っていたり、人や富に頼っていたりだろうか。「自分の悟りに頼るな」とある通り、自分は頼りにならない。富に頼る人は多い。富が夢を叶え、幸せを与え、人生を保障してくれると錯覚する。そのため富が神になり、容易に偶像になる。しかし、富は愛も、罪の赦しも、真の喜びも平安も与えてはくれない。

 

主を頼みとする人が、水路のそばに植わった木だ。酷暑や日照りにも妨げられる事なく、成長して行く。暑さに関係無く、葉を青々と茂らせる。他の木々が枯れても、水路のそばの木は、決して枯れない。水が豊かにあるので、たわわに実をならせる。何をしても栄える。主に信頼する人は、このようだと。目に見える世界とは別に根を張り、神から直に供給を受ける。

 

それゆえ、どのような苦しい状況でも、神からの供給があるので、枯れる事なく、失望や絶望は無い。乗り越えて行ける。私たちは、何を土台に生きているだろう。主の言葉だろうか、それとも自分の考えだろうか。主の教えを喜びとし、昼も夜も御言葉を口ずさむなら、それは水路のそばであり、何があろうと枯れない。御霊の働きが絶えずあるから。

 

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ふらふらと頼りない歩みであっても、主の御言葉が常に傍にあり、この一年も養われて来た。喜びと感謝を主にお献げして終えられる。★今年も一年、共に主を賛美できましたこと有難うございました。新年はスタッフの都合により1月5日から送信します。宜しくお願いします。