「私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう」詩篇56:11

日々の生活で、私たちの心を乱し、ざわつかせるものは何だろう。それには人の評価があるのではないだろうか。人の自分に対する評価を気にし、人目を気にし、それにすぐ反応してしまう。今までを振り返ってどうだろう。落ち込んだ時、心暗くなった時、思い煩いが来た時はどうだったか、人の言葉や態度が気になり、振り回されていなかったか。

 

人の自分への批判に反応し、心乱され、敵対心を抱く。憎しみや怒りを抱いてしまう。人が向けて来る憎しみに反応し、憎しみで返すなら、愚かなことをしている。そんな時は、御言葉がどう言っているかに目を留め、神の評価を見上げよう。「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない」「人を恐れるなら罠にかかる」と。

 

売り言葉に買い言葉、苛立っている時に、人から出る言葉にいちいち心に留めず、無視することだ。時にその場でカッとなり、思っても無い事も無責任に発してしまう。人からの評価に、大きな価値を置いている自分が問題だ。そして、プライドという肉が問題だ。少しでもプライドが傷つこうものなら、すぐに怒り、恨み、憎悪となる。自我に触れた途端、反発心が起きる。又、深く根に持つ。

 

人の評価で一喜一憂し、アップダウンし、人依存で生きている私たちを、御言葉は正しく導いてくれる。まずそんな自分である事を認め、御言葉に従って行く時、人の評価に反応する自分に、気づけるようになる。気づきがあると、祈りに持って行ける。その祈りは聞かれて、人の言葉でなく、神の言葉に反応して生きて行くように変えられて行く。

 

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人からの評価は全て真実だろうか。心乱される時はダビデのように主に祈ろう。誤解なら真実は神が知っていてくださり、受け入れるべき評価や指摘は有り難く受け取ろう。神が味方だ、何も恐れることはない。