「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」ローマ8:6

ある人の家庭で、話し合いをしていた。自分では全くの正論だと思い、本人が意見を言った。父親が真っ向からそれに反対した。すると今度は兄が父親に反論し、本人の肩を持った。そうしていると母親が全く別の意見を言い出した。全員が自分こそが正しいと思っているので、言い合いになり、どんどんエスカレートして、やがて争いになってしまった。

 

その場に何の関係も無い過去の事、別の問題などが飛び交い、収拾がつかなくなり切り上げた。腹立ちや対抗心で全く平安が無かった。皆が平安失せてしまい、暗たんたる気持ちになった。その後、それぞれが我に返り、冷静になり、よく考えた。すると各々が、神の御前に悔い改めを与えられ、互いに詫びた。

 

その時、自分の思いでなく、神の御思いは何かに視点を向ける事が出来た。御霊の導きを求め、祈り、相手の気持ちを思いやりつつ、再度話し合った。すると一つ思いにされ、一致して平安の内に事態の決め事が導かれた。そこに潤いと温もりが臨んだ。御霊の支配が感じられた。

 

「肉の思いは死」の通り、自分の思いを通して行くと、そこには何の実も無い。平安が無く、心重苦しく、暗い気持ちが残る。「自分は正しい」こそ、まさに肉の思いであり、その行き着く所は死だ。「御霊の思いはいのちと平安」、神に視点を向け、み思いを求めよう。

 

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肉は自分の正しさだけを頼りに歩んでいく。正しいのに潤いも平安もなく疲れてしまう。肉の高慢を主に明け渡そう。そして御霊の思いを尋ね、御霊に従っていこう。