「主は仰せられた。『外に出て、山の上で主の前に立て』」Ⅰ列王19:11

  エリヤは、バアルとの熾烈な戦いで、大々的勝利を遂げた。神の栄光が満ちる大いなるみわざであった。しかしその直後、怒ったイゼベルがエリヤ殺害を命じた。するとあれほど勇敢に戦ったエリヤが、イゼベルの脅しに怯えて逃亡した。信じられないが、霊的勝利の後は、特に危険と言われている通りだ。特別にサタンの攻撃と誘惑が臨む。

 

身を慎み、へりくだって、いっそう主に拠り頼む必要がある。あの力強い信仰と祈りで戦った勇敢なエリヤが、恐れて逃げた原因は、イゼベルの言葉だった。神の言葉よりイゼベルの言葉を受け入れてしまった。するとイゼベルの言葉に支配され、動かされてしまう。どの言葉を聞くかは極めて重要だ。

 

私たちは心にどの言葉を入れているだろう。神の言葉か、思い煩い、恐れ、不安を入れて来るサタンの言葉だろうか。神はエリヤを眠らせ、食事を与え、それを繰り返し、まず十分な休息を取らせられた。しっかりと身体の回復を与え、ホレブの山に向かわせ、山上で主の前に立つように命じられた。激しい大風、地震、火の後に、かすかな細い声があった。エリヤは、その細い小さな御声に、一心に耳を傾けた。

 

神は、エリヤの思い込みの間違いを訂正し、エリヤに新たなる使命を授けられた。死を願って、気力を喪失していたエリヤが再び、神の使命を遂げるために立ち上がった。スランプ、無気力から脱出するためには、ただただ神の御前に静まり、細い小さな御声にじっと耳を傾けることだ。神との交わりから、新しい力が湧き上がる。御霊の力によって、もう一度、立ち上がらせて下さる。

 

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私たちが本当に慰められ、立ち上がることができるのは、主から来る霊の言葉によってだ。ネガティブな言葉が自分の内から湧いてきても意識して流そう。空っぽの心で主の御言葉を聞こう。