「まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって・・」ヘブル5:13

乳ばかり飲んでいる者は、幼子であり、乳とは「キリストについての初歩の教え」とある。幼子は固い食物を消化できないので、乳を飲む。生まれたばかりで、乳を飲むのは当然で、健全、正常だ。生まれてすぐ固い物を食べるなら、消化不良で胃腸を傷めてしまう。しかし、もしいつまでも、大人になっても乳だけを飲んでいるなら異常事態だ。

 

乳から離乳食、固形物へと移るのが正常だ。柔らかい乳の言葉だけを求めるのが、霊的幼子だ。聞きたいのは神の愛だけで、義の教えや訓練鍛錬は聞きたくない。神に愛されている、それだけだ。しかし懲らしめは愛であり、神は厳しい訓練、患難、砕き、聖化を備えておられる。「あなたを苦しめ、あなたを試み」とある通りに。

 

又、幼子は自己中心だ。自分中心に世界が回る。自分の思い通りにならなければ、ひっくり返って泣きわめく。そして自分を通す。乳児は固い食物が食べられないように、従いたくない言葉は吐き出す。自分が受け入れられ、認められ、評価され、愛されたいばかりで、又、問題を解決して欲しいばかりで、自分を捨てる事や、神の栄光には関心が無い。

 

何が神の御心で、神に喜ばれるのかに思いが及ばない。自らに幼児性は無いだろうか。すべての人が大人へと成長する事が神の御心であり、神が喜ばれる事だ。自分の都合に御言葉を合わせるのではなく、御言葉に自分を合わせ、自分を従わせて行くことを祈ろう。自分を砕いて御言葉に従う時、変えられて行く。必ず一歩一歩と成長が与えられる。成熟を目指して進める。

 

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御言葉を信じて歩もうとしても、少し堅ければ避けて都合よく歩んでしまう。そこに気づきたい。何が神の望まれていることか、祈りつつ御言葉に従って行こう。一歩から成熟が始まる。