「・・また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます」コロサイ4:12

神の御心を求める時に、「御心を示して下さい」と祈り、聖書をパッと開いて、偶然開いた箇所の、パッと目についた御言葉を取って来て、「示された!」と言う事があるが、それは危険だ。聖書は占いの本ではない。すべての御言葉には前後関係があり、文脈があるので、前後関係を全く無視して、1節だけを取り出すのは、間違った方向に行ってしまう。

 

異端がそうだ。神の導きと正反対の方向に進む。又、人は主観が強いと、強い願いや思いがある時に、御言葉を自分の都合のよいように取り込んでしまう。どうしても人間は、肉の思いがあるので、自分の都合に合わせて読み込んでしまう。そうすると御心を誤る事になる。御心を求める時は、よくよく祈ることがまず大切だ。

 

主の御前にまず静まり、自分に罪があれば悔い改めよう。主との正しい関係になければ、御心はわからない。右でも左でもOKですと、主に委ねよう。そして日常生活全般に耳を澄まし、アンテナを立て、御言葉を待とう。礼拝メッセージから、デボーションから、学びから、信仰の人々との交わりから、様々なものを通して、主は必ず語りかけられる。

 

指導者の助言も有益だ。祈りつつ、御言葉を待ちつつ、状況、環境をじっと見ていよう。門が閉ざされたなら、御心でない。自分で開くのでなく、御心なら必ず主が環境を開かれる。門が開かれ、御言葉と平安が与えられ、なおかつ祈るなら「確信」が与えられる。その時、前進すべきだ。

 

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御心を求めるために自分の思いを全く主に明け渡せるように祈ろう。御心が解らないで不安が残る時、自分の思いや計算が邪魔をしているかもしれない。御心を求めていこう。