「イエスは彼女に答えて言われた。『ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように』」マタイ15:28

悪霊につかれた娘を持つ母親が出て来る。彼女は一心に「主よ。ダビデの子よ」と、娘の救いを必死に、主に叫び求めた。主は、心から叫び求める願いに、答えて下さるはずと思う。だが、主は一言も全く答えられない。切なる、心底からの求めに沈黙されたままだった。

 

その時、弟子たちがうるさがり、イライラし、不満を言って来たので、「イスラエル以外には遣わされていない」と言われた。母親はその主の言葉で悟った。自分は異邦人であり、ダビデの子ではない。ダビデの子よ、という資格は自分にはない。それで、「主よ」とだけ、更にへりくだり、「ひれ伏して」助けを願った。

 

身を投げ出し、へりくだり、ひれ伏した。それは、主の答えを引き出した。しかし答えは「子供たちのパンを小犬に投げてやれない」だった。それは彼女への試みであり、小犬と認めて、なおも求めて来るかどうかを見ておられた。彼女は「主よ。そのとおりです」と小犬だと認めた。

 

普通は認められないものだ。自分では「いえいえ私などは」と謙虚な言動をするが、人から「その通り」などと言われたものなら、大変だ。彼女には信仰があった。小犬でも、豊かな食卓からのパンくずはもらえる。主は必ず恵みと慈しみを下さると信じきっていた。主はその信仰を「立派だ」と驚かれ、とても喜ばれた。その時、娘は癒やされた。

 

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何の資格も無い者に、いっさいの資格の無い者に与えられるのが、あわれみだ。そうであれば、どんな状況下でも、あわれみだけは求める事ができる。そして「主のあわれみは尽きない」と、豊かにあわれんで下さる。何と有難い、嬉しい事だろう。