「私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私があなたのなすべき事を教えます」Ⅰサムエル10:8

 サムエルはサウルに、自分がいけにえを献げるので、到着するまで七日間待つよう指示した。しかし七日を経ても、サムエルは来ない。兵士たちは、敵の圧迫に動揺し、不安と恐怖が、まんえんして行った。そんな兵たちはサウルのもとから逃走し始めた。サウルは非常に焦った。このままでは軍は崩壊してしまう。サムエルが来る気配はない。

 

それで祭司しか献げる事のできない、いけにえを自分で献げた。神が守られる事を示して、兵士の士気を高めるために。すると、そこにサムエルが到着した。サムエルはサウルを厳しくとがめた。「愚かな事をした。あなたの王国は立たない。主が命じられた事を守らなかった」と。

 

サムエルが遅れた事が悪いのではないか。敵はどんどん侵攻して来る。兵士たちは怯えて逃げ出そうとしている。このままなら軍は壊滅だとサウルは判断した。しかしそういう問題ではなかった。軍を支配し、敵を支配しているのは、どなたであるのか。ヨナタンは言った「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない」

 

人数、勢力の問題ではない。どこまでも神に従うべきであった。祭司にしか、いけにえを献げることはできない。分を越えて、してはならない事をした。越権行為だ。神を信じて待つべきであった。それが信仰だ。今、目の前の状況で、焦ったり動揺しているだろうか。じっと神を信じて、神を待ち望もう。神の時に、神ご自身が動かれる。

 

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あれもこれもと決断を迫られる場面があるが、優先順位を見失わない歩みをしよう。形を整えるのではなく、神の御心を第一として見るなら次の一歩も導かれる。神が働いてくださる。