「そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために』」ヘブル10:7

私たちは寒暖計の人生だろうか。寒暖計は、外気温そのままの温度を表示する。寒ければ低温度、暑ければ高温度を表示する。つまり、私たちも気温の通りに反応する。人が親切であれば、親切に、優しければ、優しく、暖かければ暖かく反応する。相手が冷淡なら、冷たくし、攻撃されれば、仕返しをする。これは反応する生き方だ。

 

これでは、自分の幸、不幸が、他人によってコントロールされる事になる。すべてが相手次第という事になり、自分が無い。ここ数日を振り返ってどうだろう。他人のあの言葉やこの態度に反応し、自分がアップダウンしていないだろうか。他人の評価で一喜一憂し、天にも上る心地になったり、暗く沈んだり、振り回されている。人が気になって仕方が無い。

 

まず反応している自分に気づき、それを祈ろう。反応するのでなく、御霊の導きに従う事を決心しよう。ある人が、職場で自分につらく当たる人がいた。挨拶しても無視された。しかし反応ではなく、御霊に従って生きる事を決心していたので、相手の対応に関係無く、自分は御霊に従い、挨拶を続けた。

 

ある時、その人の仕事により助けられ、真に感謝だったので、心からのお礼を述べた。すると、相手に良心のとがめが、ありありと感じられ、相手の態度が変わった。その後、気持ち良く接して来るようになった。私たちは人に反応するのでなく、主の御心を行って生きて行く者だ。その時、あなたから良いものが出て、あなたが周囲を変えて行く。

 

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肉の感情は相手によって反応し微調整をくり返す。どこへ向かうか解らない。従うべき方に従えるよう祈ろう。主にある平安と自由がある。経験していこう。