「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある」箴言11:24

ある人の証しだ。ある時、礼拝で心が恵まれて感謝に溢れて、主の愛が臨み、何かの形で応えたい、表したいとの思いで、財布にあるものすべてを献金した。後のことは考えておらず、とにかく献げたかった。心からの喜びを持って献げ、献げた時にも喜びと平安に満たされた。礼拝後、帰りのバス代も無かったところ、たまたま家が同じ方向の人が車で来ていて、一緒にどうですかとの親切な申し出。

 

主の備えに、なおも感謝が溢れた。別の人は、経済的必要のある、一人の人の事を示された。御霊の強い促しを感じ、自分の経済状態の事も脳裏に来るが、主を愛するゆえに従いたいと思った。導きのままに、財布の中身全額を、指定献金で献げて帰った。すると、その帰り、何と財布を落としてしまったのだ。

 

御霊に従えて、御心を行えた事に心から感謝し、心が晴れやかだった。もし献げなかったなら、財布を紛失してがっかりし、落ち込んで終わりだった。御霊の導きに、促しに従う事を強く教えられた。ある人は御霊の示しにもかかわらず、どうしても献げられずに、ぐずぐずしていた。

 

そんな時、想定外の病院通いが続き、どんどん出費がかさんだ。日頃、健康がどんなに守られ、必要が満たされているかに、初めて思いが至った。感謝もなく、恵みを当然としか思っていない態度を心から悔い改めた。何と溢れるばかりに主は、私たちに良くして下さり、与えていて下さる事だろう。

 

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お金を蓄えれば安心だと必要以上にお金に頼ると、与えてくださった主に頼ることを忘れてしまう。主からの恵みにより受けていることを覚えたい。主に委ねて、良い目的のために用いていただこう。