「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ローマ8:13

ある人が子供の頃、家族や周囲の人たちから、ずっと「良い子だねえ」と言われて育った。小さい頃自分では、よくわからなかったが、何だか嬉しくて、良い子であろうと頑張り、自分でも自分は良い子だと思っていた。そんな自分が大きくなり、本当の自分の姿が映し出されて行った。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」という事が出来なかった。

 

人の悲しみを一緒に悲しむ事など出来ないし、ましてや喜ぶ事など不可能だった。むしろ羨望と妬みが渦巻いた。良い子であるはずの自分が、決して良いものなどでなく、心に潜む醜さ、罪深さを思い知らされた。罪を認め、主を信じた時に、あるがまま受け入れられている喜び、平安に満たされた。

 

ある人は、入試に不合格であった。がっくりと失望落胆し、心沈んだ。その時、友人は合格だと知った。一緒に頑張って来た友が合格したのに、喜べない。羨ましくて仕方がなく、心悶々状態に陥った。祝福などとても出来ない。でも自分はクリスチャンであり、このままでいいはずはない。

 

どうにも出来ず「自分はできません、しかし助けて下さい」と祈った。祈った後、自分ではない、御霊の力だったが、不思議に、簡単に一言だがおめでとうメールを送れた。あれほど悶々の心が、すうっーと平安になった。すると相手から、誰からよりも、そのメールが一番嬉しかった。感動したと、ことのほか喜んでくれ、証しとされた。

 

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一瞬一瞬、肉か御霊の選択に生きている。意志は、主もサタンも触れられない。自らの選択となる。御霊の方を選ぶ時、御霊の実を結び、証しとされる。肉を選ぶと肉の実を結んでしまう「出来ません、助けて下さい」と祈ろう。御霊は助けて下さる。