「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4

有名な例え話を聞いた事があるだろうか。動物学校があって、空を飛ぶ事、走り、水泳、木登りの訓練していた。鷲は、空を飛ぶ事が大の得意で、幾らでも飛べた。しかし走り、水泳、木登りは他の動物たちのようにうまく出来ずに、落ち込んでいた。うさぎは、走りは得意でよく出来た。しかし絶対に空は飛べないので、ひどく劣等感にさいなまれ、鷲を羨んでいた。

 

リスは木登りは得意でよく出来たが、やはり空は飛べない。自分はだめだと、走りも自信が持てなくなってしまった。アヒルは水泳がよく出来て得意、しかし木登りはできず、走れず、空を飛べないので、落ち込んでいた。自分が走れるうさぎや、木登りできるリス、大空を飛べる鷲であったらと羨望で見ていた。

 

これは、それぞれ全く違っているという事だ。同じものではなく、それぞれの個性と良さ、得意分野がある。それを他と比較し、他の ようになろうとするなら、自分に与えられた賜物をも生かされないまま、人生は終わってしまう。神は一人一人を違うように造られた。比較せずに、自分に与えられたものを発見し、神のために使って行く時、喜びと楽しみの中で生きて行ける。与えられた個性が開花される。

 

周囲をあれやこれや見て、落ち込んでいないか。無意識にも比較していないか。比較するなら必ず落胆する。人を羨むのは、自分に最善をして下さっている神を信じないという事になってしまう。無いものでなく、与えられているものに目を留め、主のために用いていただこう。

 

--------------

平安がないと思う時、マイナーな思いが来る時、この御言葉を自分のものとしよう。ひとり子をさえ献げて愛してくださる。この神の愛を今日も受けている。主の平安、自由を受け、喜びの人生を歩もう。